人間五十年


此の時、信長、敦盛の舞を遊ばし候

人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり

一度生を得て、滅せぬ者のあるべきかとて、螺ふけ、具足よこせと、仰せられ、御物具めされ、たちながら御食を参り、御甲をめし候て、御出陣なさる
……(中略)……
御敵今川義元は、四万五千引率し、おけはざま山に、人馬の息を休めこれあり  (『信長公記』より)

『信長公記』のこの一節、桶狭間に出陣するに当たり幸若舞いの「敦盛」を自ら謡い舞った事はあまりにも有名だ。
信長の登場する小説や時代劇にも登場することしばしばであり、日本人なら知らない人はないと言っても過言ではないだろう。

この一節の「人間五十年」は「人間の寿命はせいぜい50年」という諦めであるとか、「だから、どうなっても良いから思いっきりやってやろう」という開き直りの意味に一般的には解釈されている。

若い者にとってはここ一番の時に心を奮い立たせる解釈だが、五十歳を越えた者にとってはなにやらもの悲しい。
しかし、この一節をそのように解釈するにはふに落ちない言葉がいくつか有る。

「人間五十年」の人間とはおかしな言い方だ。
なぜ「人生五十年」ではなく、「人間」なのだろうか?
「人間」と「五十年」の間に「の寿命は」が省略されているとして、「"人間"の○○」という場合、人間でないなにか別なものを意識して、意図的に使う言葉のように思われる。
例えば、「人間のやることじゃない」→「悪魔の所業である」というような言い方である。
ここでは何を対比・意識しているのだろうか。

次に「五十年」とはなぜ「五十年」なのか。
「敦盛」はもともと「平家物語」の一節であり、幸若舞いに取り入れられた時代に、平均寿命という考え方が有ったのだろうか。
百歩ゆずって「平均寿命」という考えが有ったとしても、その時代では五十歳よりももっと短かったと思われる。
では「五十年」という数字はどこから出たのか?

さらに、信長の目指したのは「天下」のはずではないか、「下天」とは聞き慣れない言葉だ。
桶狭間の頃の信長は小国の「お館様」であり、このころにすでに「天下統一」を意識していたのだろうか?
信長が天下布武を唱えるのは桶狭間の頃よりもう少し後の時代だ。

実は下敷きにされた原典が有る。
倶舎論」という仏教の論書に出てくる「人間五十年、下天一昼夜・・・」が原典なのだ。
幸若舞いの「敦盛」の作者はこの「倶舎論」を意識してこの一節を書いている。
平家物語の「一ノ谷合戦の平敦盛と熊谷直実の一騎打ち」を題材として作られた幸若舞いの「敦盛」が演じられるとき、演者も聴衆も常識として「倶舎論」をイメージしたと思われる。

「倶舎論」とはインド5世紀の仏僧ヴァスバンドゥによって書かれた仏教宇宙観の体系を示す書物の1つである。 
この中の「世品(せほん)」という1章に須弥山(しゅみせん)説が述べられている。
日本人にとっての「地獄や極楽のイメージ」それに「金輪際」とか「三界に家なし」とかの言葉もこの「倶舎論」が元となっている。

「倶舎論」の「須弥山」説こよると「天界」にはおびただしい「天」がいる。
仏教で「天」というときは Sky とか Heaven の意味ではなく God の意味と思って間違いない。
「天」が神を意味するのに対して、「天界」は空間を意味する。

また、人間が住むのは「下界」もしくは「天下(テンゲ)」であって「下天」ではない。
「下天」とは下にある天界、または下級の天、具体的には「四王天・界」またはそこに住む「四天王」のことを指す。

四天王は須弥山の中腹に住み、帝釈天の外将の「持国天」「増長天」「広目天」「多聞天(毘沙門天)」を言う。
四天王の寿命は五百才。 但し、人間界の五十年が四王天の一昼夜に相当する。 

これで、五十年という数字がどこから出たのか、また「人間」という言葉が何を意識して使われているのかがふにおちた。

つまり、「敦盛」では、「(長い年月のように感じられる)人間界の五十年も、四王天・界の内と比ベてみれば、(人間界の五十年なんて四天王にとっては)夢まぼろしの如く一瞬のことにすぎない」と謡っていることになる。

従って、信長がお気に入りの「敦盛」を「人間の"寿命"は五十年・・・ 」という具合に解釈してしまうのは、間違いだということになる。
ましてや、「人生50年」なんて、読み違いをしてはいけない。

1999/12/11 B.L.


「人間五十年」   「枯野」    












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